人生を変えた一言
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ある一言が、自分の人生を決定的に変えるということがある。私の場合、その言葉は 「二重契約はアカン!」
という言葉だった。 そのときは何気なく聞いていて、その後も長い間この言葉を思い出すことはなかった。しかし、この言葉が冷や酒のように、あとでジワーッと効いてくることになる。 31歳の時、私は大学を辞め、高校の教員になろうと思って大阪に出てきた。出身地の石川県は採用試験の年齢制限が30歳だったので受験資格がなかったからだ。 大阪府教育委員会に講師登録をしたところ、さっそく自宅に電話がかかってきた。H市の教育委員会からだった。中学校の先生が胃潰瘍で倒れたので、2〜3ヶ月来て欲しいということだった。かなり荒れている中学校らしかった。私の第一希望は高校に勤めることであったが、向こうがすごく困っている様子だったので、「はい、行きます」とその場で答えた。 その翌日だった。今度は府立高校(泉鳥取高校)のY校長先生から電話がかかってきた。「英語の教員を捜している。常勤講師で是非来て欲しい」とのことである。一方は荒れた中学校の3ヶ月雇用、こちらは高校の3月末までの期限付き講師である。条件はこちらの方がはるかにいい。 しかし、そのとき、数年前にYさんから聞いたあの一言が頭をよぎった。「二重契約はアカン!」
電話の向こうのY校長先生に 「実は、昨日、羽曳野市教育委員会から電話があり、そちらにお世話になると返事をしてしまいました。一度した約束を、私の口から反故にすることはできません」とすぐその場で断った。 翌日、またY校長先生から電話があった。「H市教育委員会には、私の方から話をつけたから、安心して私の高校に来てください」とのことである。そして、「 H教育委員会に出むいて、迷惑をかけたことに対する挨拶をしてきなさい」という指示をいただいた。 こうした水面下でのやりとりがあって、私の高校教員の第一歩が 、泉鳥取高校の「期限付き英語講師」としてスタートした。幸い、その年の採用試験(教科は社会)に無事合格し、翌年度からはそのままY校長先生の下で社会科教員として勤務することになった。 講師から教諭になった場合、たいていは他の学校に回されるのが普通であるが、私の場合は同一校での採用となった。英語を教えていた先生 が、次の年から急に社会の先生になったものだから、生徒のほうもビックリした様子だった。 Y校長先生は、その後三国丘高校の校長に転勤され、私を同校に呼んでくださった。私を呼んでくださった理由の一つには、たとえ、やせ我慢をしてでも自分の主義主張を曲げないという生き方の「美学」が関係していたのかもしれない。
高校教員になったら一度でいいから進学校で授業をしてみたい。教員なら誰しも思う「夢」がこうして実現した。しかも、三国丘で18年もお世話になり、その間にたくさんの素晴らしい生徒達と巡り会うことができた。
「二重契約はアカン!」
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